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これまでの滑稽俳句大賞受賞作品
第一回 第ニ回 第三回 第四回 第五回 第六回 第七回 第八回
第九回 第十回 第十一回第十三回 第十四回 第十五回
第十五回滑稽俳句大賞決定
 
三重県 松村正之
十二月八日と気付く夜の厠
終活と見え来る年末大掃除
それぞれの目線違へて初写真
昔ほどなつかぬ孫へお年玉
けふだけは初鴉とておだてられ
ワクチンの列に御慶を交はしけり
ポイントがどうのかうのと一葉忌
戦争のニュースで包む冬の薔薇
死ぬるまで飲めてふ薬冬の鵙
かろがろと死後の話や日向ぼこ   


受賞の感想
 本阿弥書店の月刊誌『俳壇』の「滑稽俳壇」には投句をさせてもらっておりましたが、入選しない月もよくありました。滑稽俳句協会の滑稽俳句大賞には、はるかに遠いものだと思っておりましたので、ただただ驚いております。 『山繭』と言う結社で、即物具象の句を目標に日々苦吟していますが、俳諧味の強い句が出来てくるのです。それは「自分をも笑い、社会をも笑いたい」と言う心理が私の中に強くあるからだと思います。 私の拙い表現が、他の人達にも分かってもらえるんだと思えるようになったことが、今回の何よりの喜びです。 私に勇気を与えてくれました選者の皆さまに、心よりお礼を申し上げます。

 
山口県 藤兼雅幸
往生はかくありたしや花吹雪
ぼうたんや美しきはおよそ人の妻
世渡りの術を云々ビール足す
女房の愚痴が薬味の冷奴
堂々と斜め駐車も敬老日
水割の氷ちちろに溶けてゆく
煮崩れた肉じゃががいい温め酒
世の隅に生きて落葉の吹き溜まり
月末の五千円札一葉忌
古暦焚けば今年はよく烟る   


 受賞の感想を一筆申し上げます。 今回、二組の作品を応募し、その両方が受賞とのお知らせ、大変うれしく思います。私ごときの作品が入賞するとは、大賞の方以外は私も含めて不作の年だったのではと…。私にとっては幸運でした。誠にありがとうございました。 私は、アメリカンジョーク、フランス小噺、江戸川柳等々が好きで、三十数年の句歴を持っていますが、風情や写生より、どうしても諧謔に走ってしまいます。 滑稽俳句の世界を知り、正に水を得た魚の心境ですが、私の目指す品性のある滑稽俳句は、現代俳句の世界に於いても充分通用し、垣根を持たないものと考えております。 天賦のものに欠ける私ですが、より精進をして大賞を目指したいと思っております。

 
神奈川県 山下遊児
じやんけんぽんチヨキしか出せぬ潮まねき
ホチキスのキスの辺りが春めきぬ
式終へて卒業証の筒がポン
無駄なもの捨てて水母になつちやつた
斬られ役買つて出ますと羽抜鶏
アクセルはふかさず藷を蒸かすべし
舌頭で千転しをる唐辛子
アプリでは翻訳できぬ虫の声
敬老の日を言祝げば言祝がる
白菜の断面にある笑ひ皺   
 
栃木県 平野暢行
頬刺しの六匹同じ科と見ゆ
封筒の切手逆さま万愚節
蝿叩さやうに強く打たずとも
母の日に何故か父だけ飲んでゐる
ごきぶりの偉さうに髭うごめかす
店先の西瓜叩いて見たくなり
田を統ぶる名誉村民案山子翁
ニュートンの力及ばぬ木守柿
着ぶくれてゐて着太りと言ひ張れり
日向ぼこけふはまだ来ぬ生き字引    
 
山口県 藤兼雅幸
咲いて歌落ちて句となる椿かな
なるようにしかならぬもの蝸牛
不出来なる息子の音のする西瓜
口開けの客打水を跨ぎつつ
秋の蚊が死に損ないを食う痒し
生き方をどこで違えた返り花
黙ってたら可愛い女冬薔薇
マスクして口約束の横行す
懐手ひょいと取り出す神の前
愚痴一つこぼして一つ梅開く   
 
審査方法と結果

 十句を一組とし、一組を一作品として十句すべての出来栄えで評価、審査を行いました。応募者総数九十六名、百十九組で、応募点数は過去最多となりました。すべての作品を、無記名で各審査員にお渡しし、ご審査いただきました。 一位から五位までを選出いただき、一位は五点、二位は四点、三位は三点、四位は二点、五位は一点として集計しました。その結果、以下の各氏が受賞されました。 最高得点の十八点で大賞を獲得したのは、松村正之でした。次点は、大賞とわずか二点差の十六点で藤兼雅幸でした。入選は、十一点の山下遊児、八点の平野暢行と藤兼雅幸でした。 以下、七点が吉浦百合子、森一平、竹縄誠之、八塚一、五点が水間千鶴子、鈴木良二、尾倉雅人、南とんぼ、西崎久男、大越秀子、四点が貞住昌彦、有本仁政、三点が三野公子、月城花風、日根野聖子、井原三都子、二点が舘健一郎、峰崎成規、下嶋四万歩、吉川正紀子、大竹孝子、一点が北熊紀生でした。 

 
審査経過と講評
「季語が響いている俳句」
「軸」主宰・全国俳誌協会会長 秋尾敏

 前回より、こなれていない作品が多かったように思います。まず俳句としての形がしっかりしていないと、滑稽味が浅くなってしまいます。 季語についても、意味で付いているようなのは、駄目です。もっと深いところで季語が響いていることを望みます。その観点で、大賞を選びました。 一位に推した作品は、ひとつひとつの季語がしっかりと作品の状況を語っていると思いました。二位には、季語が味わい深いものを選びました。

 
「生き生きさせてくれる詩」
「帆」主宰 浅井民子

 今年は、例年にも増して多くの応募がありましたこと、喜ばしいことです。長引くコロナ禍、戦争や地球規模の自然災害等々の収束が見通せない日々の中で、滑稽俳句は自然や社会へ目を向け、自己の内面へも、他者へも感覚を掘り下げて、心を生き生きとさせてくれる詩であると再認識しました。 一組の十句何れもが、あたたかさや深く見る姿勢などがあり、洗練された俳諧味を持つ作品を選びました。この他、テーマを決めて詠まれた作品もありました。一つのものを多面的に深く捉えて十句揃えるのは難しいことかもしれませんが、今後もこのような取り組みも交え、様々な挑戦を期待したいと思います。  

 
「人間らしい知的な世界」
「沖」同人  上谷昌憲

 今さら述べるまでもないが、西洋の写実主義を強引に俳諧に取り入れ、今日の俳句の根幹を成したのは子規である。それは《写生》を基本理念とし、因習化された俳句趣味を抜け出して、自然の風物を在りのままに写せというものであった。月並みな知識や教養にもたれた「ひねり」や「くすぐり」を嫌い、身近な自然を写生して、誰でも詠めるような句を唱導した。 ところがである。彼は『俳諧大要』において、次のようにも述べている。「面白くも感ぜざる山川草木を材料として、幾千俳句をものしたりとて、俳句に成り得るべくもあらず」とし、自分自身の感興なくして他人の心を捉えることはできないというのである。そこで思い浮かべるのが、滑稽俳句協会報に毎月掲載される「今月の秀逸句」。八木会長による当意即妙の付句である。 元句によって付句が触発され、絶妙な付句によって元句が益々輝きだす…。つまり、子規がスポイルしたはずの滑稽の世界が見事に生動するのである。私たちが優れた滑稽俳句だと思うのは、八木会長が七七を付けたくなるような作品ではないだろうか。滑稽俳句は、作者と鑑賞者が一体となって創り上げる、最も人間らしい知的な世界に違いない。  

 
「本質的な味わい」
「山彦」主宰・山口県俳句作家協会会長 河村正浩

 俳句で言う滑稽とは、単なるおどけや面白さではなく、俳句が今日まで持ち続けてきた本質的な味わいの一つである。つまり、滑稽とは、表現上に現れた事象(滑稽)によって、実はもっと深い作者の内面が伝達されるべきである。例えば、内面の悲劇性が表面上では喜劇性となって現れる。読み手はそこから親しさや哀れさを感じ取るのである。 さて、多くの作品が目先だけの面白さであって、俳句としての余韻、余情に欠ける。滑稽俳句は一気に詠もうとして詠めるものではない。かつての受賞者の弁に一年間の作品の中から選んだとあったが、コンクールとなれば、そのくらいの準備が必要かも知れない。せめて一〇〇句、二〇〇句詠んで自選す る覚悟は必要と思う。   

 
骨格のしっかりした句を
「野火」主宰  菅野孝夫

 一位に推した作品は、文語を間違いなく使っていて句の骨格もしっかりしていた。最初から三句、〈痩蛙一茶の句碑に畏まり〉〈さびしさに河馬にもの云ふ花の昼〉〈青簾あげて清少納言現る〉を見ただけでその良さが分かった。滑稽俳句≠ニいう言葉に惑わされて、とかく表面的なおもしろさに囚われがちだが、文体も落ち着いていて、安心して読むことが出来たので、迷わず一位にした。これは大事なことだと思う。二位以下の句もそのような観点から選んだ。

 
 
トータルの基準
子規新報編集長 愛媛新聞俳壇選者  小西昭夫

 毎年のことだが、最終選考に五作品を選んだ後の順位付には悩んでしまう。というのは、この大賞の選考基準が「十句すべての出来栄え」をトータルに評価するというコンセプトであるからである。このトータルの基準をどう考えるかということに悩むのである。魅力的な滑稽句であることはもちろんだが、十句の中に、明らかな駄句があったり首を傾げるような句があると選べない。 一句のみで判断するということなら、最終選考に残さなかった作品にも心魅かれる句は沢山あった。十句そろえることの大変さを、選考する立場からも、つくづくと感じている。  

 
光る句
「春耕」編集長  蟇目良雨

 全体に少し低調だったが、光る句もあった。 一位:マスクして口約束の横行す コロナ禍の世相と政治不信を言い当てている。 二位:ホチキスのキスの辺りが春めきぬ 言葉遊びが楽しい。 三位:イブの夜の別れてはづす総入歯 生への執着と哀感。 四位:バレンタインデー善哉今日は引き籠り 「蒟蒻に今日は売り勝つ若菜哉」(芭蕉)の本歌取りで上手い。 五位:お化屋敷お岩の髪のリンス臭 よく見つけたもの。

 
 
人間性のある滑稽味
「秋麗」主宰  藤田直子

 今年もユニークな作品の数々を楽しませていただいた。選考基準の一つは季語である。無季の句が一句でも入っている作品は選外としたが、季語の扱いは実景でもイメージでも良いこととし、寛容でいたいと思った。滑稽味に人間性が感じられるかどうかも選考の基準とした。十句全体から人物像が浮かび上がってくる作品に好感を抱いたからである。個々の句としては、「月末の五千円札一葉忌」「古暦焚けば今年はよく烟る」「ユーラシアプレートに乗り昼寝かな」が印象的であった。

 
 
措辞のおかしみと現実味
「波」主宰  山田貴世

 五作品を選ばせていただいたが、どの作品が一位になっても良い作品ばかりであった。僅差で一位を決めた。「お化屋敷お岩の髪のリンス臭」のリンス臭の措辞、「解夏僧の電子決済南無阿弥陀」の電子決済の措辞の現実味が何とも利いていて、おかしみを醸し出している点を評価させていただいた。

 
 
総評「情熱とサービス精神
滑稽俳句協会会長  八木 健

 今回は、過去最多の応募点数となった。第一回と第二回は二句一組での応募だったが、第三回より現在の十句一組での応募とした。十句すべての完成度を揃えられるかどうかで、作者の力量を判断したいというねらいである。今回の上位入賞者も、おそらく俳句への造詣の深い方達であったに違いない。 審査の留意点として、「作者の肩の力が抜けていること」「これまで誰も書かなかった内容と表現であること」を第一とした。そして、俳諧の連歌の時代に遡りつつ、滑稽とは何かという根本命題をもって読ませてもらった。作者が見つけた可笑しさを、已むに已まれず誰かに伝えたいのだという、情熱とサービス精神を感じられる作品を選んだ。