馬鹿は死ななきゃ治らない  
   

 

 杉 弘光が語る 祖父広沢虎造の芸と生涯

 


第二章 大阪苦心談

 大好きな浪花節の師匠連中にことごとく弟子入りを断られて、浪曲師になることをあきらめ大阪へとやって来た信一は兄の家に下宿しながら薬品会社の勤めに出しました。
営業に行っても口上は上手かったが、専門知識がないのでさっぱり駄目で、休日ともなると憂さばらしに自然に寄席へと足が向きます。 この頃、関西の浪花節は吉田奈良丸、京山小円、京山若丸の3人が大正5年に亡くなった浪曲中興の祖といわれた桃中軒雲右衛門と共に四天王と呼ばれ黄金時代を築いておりました。


また関西にはケレンと申しまして、笑いがたくさん入った浪花節が多く、信一も関心するほど笑い転げていたそうです。そんなある日、同僚の岩本という男が信一を訪ねて来ました。岩本とはヘボ将棋を指したり、寄席へ行ったりする仲でした。その岩本から「玉造に、心安うしてる席亭がおってな。そこへ浪花節を聴きにいけへんか?」と誘われました。
喜んでついて行くと、円城亭という端席で、京山円勝という人がトリをとって公演していました。場末の端席でありながら客はよく入っていました。 しばらくすると席亭に挨拶に行った岩本が戻ってきました。


「えらいこっちゃ!出演者が急病で倒れて穴が開くいうて席亭が困ってるんや、信ちゃんあんた浪花節できるやろ、ちょっと上がってやったってえや」「いや、急にやれと言われても」「いや、普段からあんたの浪花節はワシがよう聴いて知っとるアンタやったらプロやゆうても通るで、なっ頼むわ」と手を合わせて頼まれたのです。引くに引けなくなった江戸っ子信一は、「ここは大阪だし、俺を知っている者は誰もいない、幸いお客も大入。 本当は唸りたくてウズウズしてたところ よしやろう!」と、関西でも人気があった三代鼈甲斎虎丸の「安中草三郎」と三河家円車の「ドンドン節」をやって大喝采を浴びました。 


後日、これが縁で席亭と、トリをとっていた京山円勝と親しくなり、円勝のすすめで浪花節の師匠を紹介してもらい、弟子入りを志願するのですが、またまた兄貴の会社は飛び出す、稼ぎはなくなると苦労がはじまります。数日後、信一は円勝に連れられてやって来たのは京山一門ではなく、笹本という興行社でした。「変だな」と思った信一でしたが、円勝は「ここの社長はんにあんじょう頼んでおいたさかい 言われた通りしとったら間違いないわ、ほなさいなら」と信一を残してさっさと行ってしまいました。 


仕方なく汚い看板が掛かった手狭な事務所に入ると社長らしき赤ら顔のでっぷりとした男が「円勝から話は聞いた、浪花節はもともと大道芸やさかい 大道で修行をするのがええんや、早速、明日から大道で仕事してもらうで、今日からここの2階へ泊まるんや」と、勝手に話を進める。まるで日雇い人夫のような扱いに頭にきた信一だったが、他に行く宛もなければ、今更、兄貴の家にも戻れません。仕方なくすえた臭いのするせんべい布団にくるまってその夜を過ごしました。 次の朝、下の事務所に降りて行くと、二人の漫才がいた。「おはようございます」ペコリと頭を下げた信一に小太りの男が「新入りかいな?」と声を掛けました。「はい、金田信一という浪花節でございます」するとやせた眼鏡の男が「言葉つきからすると 東京モンやな せいぜいきばりや」といわれました。



虎造


この二人が誰あろう 後に大阪漫才の神様と呼ばれた横山エンタツ、花菱アチャコとは、この時、信一も知るよしもありませんでした。 




こうして、しばらくは商店街やお祭りの余興と街頭で仕事をしておりましたが、いつまでこんなことをしてもちゃんとした浪曲師になれるはずもなく、「どうやら円勝は社長から金をもらって、俺を売ったな」と、考えれば考えるほどバカバカしくなり、ついに、ある深夜、荷物をまとめ夜逃げと決め込んだのです。 朝になり、仕方なく元の勤め先に兄貴がいないのを見透かして、同僚の岩本を呼び出しこのてん末を話しました。


「そりゃ 難儀なこっちゃ?、どないするつもりやねん」「どうも こうも当てがなくなっちゃったんだ。今更、兄貴のところへも戻れないから、お前さん家に泊めてくれ」「そりゃあかん。それゃ絶対あかん。家は狭い長屋に8人の大所帯や、寝るとこなんてあらへんがな、そおやな、何かええ考えは、そや、そないゆうたら信ちゃんは東京で富士月子という浪花節の人知ってるゆうてたな?」「うん、むかし同じ講釈師に習って、出入りしていた時に仲良くしてもらったんだ」「うん、そや、その富士月子はんが松島の広沢館に出てるはずや、そこへ訪ねて行ったらどうやろ」「ええ、月子姉さんが?」と、まあ、ここんところを虎造風に申し上げますてぇっと「待てば海路の?日よりあり」岩本に挨拶もせずに、韋駄天走りの信一が参りましたる広沢館、楽屋口へと飛び込んだ。捨てる神ありゃ 助ける神。こうして富士月子に大阪へ来てからの物語を語り、月子から広沢虎春という人を紹介してもらって、広沢館に住込みで下足番として働き始めたのです。





写真資料:1虎造21歳の頃

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